創造的教育協会の「哲学ブログ」

幼児から社会人まで、幅広く「思考」と「学び」をテーマに教育・学習事業を展開する一般社団法人。高知県内を中心に活動中。

創造的教育協会は「思考」と「学び」をテーマに高知県を中心に活動する一般社団法人です。

事業内容は幅広く、 1.幼稚園、保育園への教育プログラム提供 2.幼児向け学習教室「ピグマリオンノブレス」の運営 3.中高生を対象としたキャリア研修 4.企業研修 5.社会人を対象とした思考力教室の運営 など、 老若男女を問わず様々な人たちに「よりよく学ぶ」実践の場を提供させて戴いております。
またこの他、学材の研究・開発等、学び全般に関わる活動に携わっています。

哲学とは何か?

初めましての皆さまへ

今このページを見ているあなたは、たぶん、「哲学」に興味がおありなのだと思います。
しかし、この「哲学philosophy」とは何でしょうか?

 

世の中は「哲学」と名の付くもので溢れています。「人生哲学」「経営哲学」「宗教哲学」「教育哲学」「政治哲学」…...逆に、哲学と結び付かないものの方が少ないくらいかも知れません。これらに何か共通点があるのでしょうか?
あるいは「哲学でない」ものがあるとすれば、それはどんなものなのでしょうか?

 

「哲学とは何か?」

これを私たちが取り組む最初の問題にしたいと思います。

 

 

哲学を教えることはできない

さて、問題を設定したところで、1つご紹介しましょう。

18世紀のプロイセン王国(現在のドイツ)に、イマヌエル・カント(Immanuel Kant:1724-1804)という大哲学者がいました。どれくらい偉大かというと、この人の名前を抜きにして哲学の歴史は語れないというくらいの人なのですが、このカントが次のような言葉を遺しています。

 

「哲学を教えることはできない…...せいぜい、哲学することを学びうるのみである」

(『純粋理性批判』より)

「哲学とは何か」と問いかけておいて「教えることはできない」とは何ごとか、と怒るのは少し待ってください。大事なのは、「哲学すること」は学びうるというこちら側です。カントは何を言おうとしたのでしょうか。

 

哲学という営みは、常に「問い」とともにあります。そして、哲学に関わる人たちは、ずっとその時代ごとの問いに対して回答を試みてきました。しかし、「絶対に間違いのない答」というものがありうるのでしょうか?

もしかするとあるのかも知れません。けれど「これは間違いない」と判断した瞬間に、「問い」の可能性は閉ざされてしまう。言い換えると、間違いないという「思い込み」ではないかと疑問を持ち、問い直す可能性がなくなってしまうのです。これは健全ではない、とするのが哲学の基本的なスタンスだと言えます。

 

また他方、「教える」という行為にはどうしても「正解」というニュアンスが付きまといます。すると「問い」は止まってしまうのではないか。何かを「正解」として固定してしまうことへの警鐘を、カントは鳴らしているのです。

既に完成したものとしてではなく、常に更なる発展・変化のあるものとして我々は問い掛け続けなければならない。上述の言葉には、こんな意図があります。哲学とは何か。これ自体もまた、同様に問われ続けるべきものなのです。

そのため、「哲学する」ということ――問いを発し、回答を試みるということ――だけが学びうることである。こんな風にカントは表現しました。

 

「終らない問い」を生きる

では改めて、「哲学とは何か?」それは、こうした問いの積み重ねであり、常に未完であり続けるプロセスだと言うことができます。未完であるが故に、正解として教えることはできない。せいぜい、そのプロセスに参加することができるだけだ。カントの言葉からは、そんな「哲学的な在り方」が見えてきます。

 

そうした哲学の歴史には、数多くの「問い」と「回答」が溢れています。時代ごとの人々がどんな風に物事を考えたのか、そのアーカイブが哲学の歴史なのです。哲学を学ぶとは、そうした様々な考え方に触れ、多様な思考のあり方に親しむこと――いわば、受信できる「思考のチャンネル」を増やしていくことだと言えるでしょう。

「対話」や「議論」が哲学の傍らにあるのは、向かい合う人々の考えをよりよく理解し、考えを深めていこうとする態度、チャンネルを増やしていこうとする態度の現われに他なりません。

 

人生、経営、宗教、教育、政治――こうした全てに「哲学」が結び付くこと、これも哲学が「正解」ではなく「問いと回答のプロセス」だからです。人が何かを考えるということ、その在り方に常に哲学は関わっています。「○○哲学」というよりも、何かを哲学的な態度で(つまりは問いと回答への試みとして)考える、という営みがあるという方が正確でしょう。

 

そんなわけで、メッセージを1つ。

この場所は「哲学とは何か?」という問いに正解を与えるための場所ではありません。

あなたが――できるならばあなたと共にある私たちが、「哲学」を始めるための場所なのです。

 

 

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