創造的教育協会の「哲学ブログ」

幼児から社会人まで、幅広く「思考」と「学び」をテーマに教育・学習事業を展開する一般社団法人。高知県内を中心に活動中。

創造的教育協会は「思考」と「学び」をテーマに高知県を中心に活動する一般社団法人です。

事業内容は幅広く、 1.幼稚園、保育園への教育プログラム提供 2.幼児向け学習教室「ピグマリオンノブレス」の運営 3.中高生を対象としたキャリア研修 4.企業研修 5.社会人を対象とした思考力教室の運営 など、 老若男女を問わず様々な人たちに「よりよく学ぶ」実践の場を提供させて戴いております。
またこの他、学材の研究・開発等、学び全般に関わる活動に携わっています。

ソクラテス以前の哲学者たち① —— ミレトス学派と哲学のルーツ

 

既にご紹介した通り、古典期のギリシアで西洋哲学が始まったこと、またソクラテスが西洋哲学の祖と目されていることは確かです。しかしこれらのことは、必ずしも事実ではない――より正確には、事実の全てではありません。ソクラテス以前の哲学者、と今では呼ばれるようになった人たちが、ソクラテスがこの世に生まれる以前から様々な思索を巡らしてきたこともまた事実であり、その一部は現代にも受け継がれています。

少し乱暴にまとめると、ソクラテスがものごとの「定義」を求めたのに先駆け、彼らはものごとの「原理」を探求したのだと言うことができます。その意味で、哲学のルーツのもう一方を担う存在なのだと言ってもいいでしょう。またこうした態度の差が含意する歴史上の意味についても、少しずつ見ていければと思います。

され、そんなわけで今回は中でも「最初の哲学者」と呼ばれるタレスと、彼がその代表的存在であったミレトス学派をご紹介したいと思います。

 

 

万物の原理の探求――神話から哲学へ

タレスを始めとするミレトス学派、またソクラテス以前の哲学者たちは、しばしば「自然哲学者」という言葉で総称されます。これは、彼らが上に述べた「原理」の探究者だったからです。究極的には、この世界は何によって成り立っているのか? その究極的な根源こそが「原理」と呼ばれるものであり、ギリシア語ではこれをアルケーと言います。また、ここでいう「自然」に対応する語はピュシスとなるのですが、彼らにとってこのピュシスという言葉はアルケーと同義的にも用いられていました。自然の探求とその原理の探求は同じものだ、という具合に見ればイメージしやすくなるかも知れません。またここでは、自然における「変化」を説明するものとしてその原理が探究されたということを強調しておきたいと思います。

続けてタレスについて見ることにしましょう。彼はアナトリア半島小アジア)生側のエーゲ海に面した都市、ミレトスの人でした。そのことから「ミレトスのタレス」と呼ばれることもあり、またミレトス学派とはこの都市の名に由来しています。詳細な生没年は不明ですが、紀元前624年頃に生まれ、紀元前545年ごろに亡くなったとされます。ソクラテスより150年ほど早くに生まれていたことになりますね。

さて、タレスは「万物の根源は水である」と考え、全ては水から生じ、また水へと還ってと考えたと伝わっています。伝わっています、というのは彼が書いた文章は散逸しており、部分的な伝承の形でしか残っていないからです。

例えば、海から雲、雨という水の循環が世界にはある。また人間の身体も水を含んでいるし、地面も掘り進めれば水分を含んでいると分かる。ならば、全ては水でできているのではないか? ―― 現代の私たちからすれば常識外れとも言える考え方ではあります。しかし、これは画期的なことでした。それは何故かと言うと、タレスの理論はそれ以前からあった物事の神話的説明とは全く種類の異なるものだったからです。

「神話」と言っても様々ですが、多くの場合その内容は超自然的な存在を含んでおり、またその神話を共有する集団の中では半ば是認を強制されるという性格を持っています。例えば「△△山は○○神が創った」という神話があるとしましょう――極端に言えば、こうした神話は信じるか信じないかの2択です。本当だろうか、と検証することをそもそも想定していない、と言ってもいいでしょう。これは、善い・悪いではなくそういうものだということです。

対して、タレスの主張は「万物の根源が水だとすれば、○○のことはどうやって説明するのか」といった問いに開かれていました。また、今とは水準が違いますが、実際に物事を観察する中で説明体系が構築されていった…...検証可能な仮説、という意味で現代の科学にも通じるこの姿勢こそ、タレスが「最初の哲学者」と呼ばれる所以です。また現代の私達でも、「全ては水からできている」という主張についてはその意味を理解することができます。こうした意味で時代や場所に囚われない普遍的な議論を提出したことも、タレスから始まったとされているのです。

 

ミレトス学派の自然哲学者たち

タレスの他、ミレトスで活躍したとされる自然哲学者を2人ご紹介します。

アナクシマンドロス

万物の根源は「無限のもの」(アペイロン)である、という主張で知られる自然哲学者で、タレスとほぼ同時代の人です。タレスが自然の中に存在する「水」をアルケーと見なしたのに対し、我々が経験を通じて知ることができる自然の中には存在しないもの(少なくとも眼には見えないもの)を概念として提示した点に彼の特色があります。この「無限のもの」には「無規定的なもの」(=何ものでもないもの)という意味合いも同時に含まれており、言い換えると「そこから全てが生じてくるところの何ものかが存在するはずだ」とアナクシマンドロスは主張していたことになります。タレスが考えた「水」よりも更に先だって存在しなければならないものとしての無限のものが、彼の関心事でした。

なお、「アルケー」という言葉を最初に用いたのはアナクシマンドロスだったとも言われています。

アナクシメネス

生きているものは呼吸するが、死んだものは呼吸しない――ここから、万物の根源は「空気」であると考えたのがアナクシメネスだと言われています。空気の濃さによって冷や水、土や岩石が生じると唱えたと言われ、この「同じものの濃さ(≒密度)によって異なるものが形づくられる」という発想には後代の化学が発展していくルーツを見ることができます。

 

こんなところにも哲学の影

最後に、一つご紹介しましょう。「半円の弧に対する円周角は90°である」という数学の定理をご存じの方は多いと思います。懐かしいな、と思う方もいるでしょう。

実はこの定理、「ターレスの定理」という名が付けられており、このターレスとはこの記事で紹介しているタレスに他なりません。定理自体はタレス以前から知られていたとも言われていますが、タレスが実際に証明を与えたということは確かだそう。

彼らを始め、哲学者たちはみな数学に長じており、とりわけ幾何学の知識は重要視されたと言われています。またそれだけでなく、彼らのほとんどは哲学の専門家という訳ではなく、様々な学問に取り組むジェネラリストでした。専門分化が進んだ現代では信じがたいことですが、17世紀くらいまではそれが当たり前だったのです。

いずれにせよ、2500年も前の知恵が、現代もなお息衝いている。人類の知的営みの傍らに、常に哲学があったということは知っておいてよいと思います。