創造的教育協会の「哲学ブログ」

幼児から社会人まで、幅広く「思考」と「学び」をテーマに教育・学習事業を展開する一般社団法人。高知県内を中心に活動中。

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またこの他、学材の研究・開発等、学び全般に関わる活動に携わっています。

ソクラテス以前の哲学者たち② —— ピタゴラスとピタゴラス学派

 

前回に続いて、ソクラテス以前の哲学者たちを紹介していきたいと思います。タレスを始めとするミレトス学派アナトリア半島の西岸(現在のトルコ、エーゲ海沿岸)のミレトスを中心地としたのと同じように、イタリア半島の南側も当時はギリシア人による植民都市が多く栄えた場所でした。そうした都市の一つクロトン(現在のイタリア、クロトーネ)に生まれた、ピタゴラスを祖とするピタゴラス学派が今回の主役です。

 

 

万物の根源は数である

ピタゴラスは紀元前582年にサモス島(エーゲ海東部、アナトリア半島近くの島。現在はギリシア領)に生まれました。若くから諸国で数学や天文学、また宗教について学んだと言われ、やがてクロトンでピタゴラス学派、またピタゴラス教団とも呼ばれる半宗教的な思想集団を立ち上げることになります。

現代の視点から言えば、「ピタゴラスの定理」(=三平方の定理)や「ピタゴラス音律」という仕方で名前を聞くことの方が多いでしょう。これらはピタゴラス個人というよりも、学派内での研鑽を通じて見出されたものであると言われています。しかし哲学の文脈で言えば「万物の根源は数である」という主張が最も有名だと言えるでしょう。

ミレトス学派の人々、タレスアナクシマンドロスらが準備した万物のアルケー探究ないし考究。ここにピタゴラスが付け加えた理論的な発展は、この「数」の性格に表れています。

例えば、タレスは万物の根源を「水」だとしました。アナクシマンドロスは「無限なもの(無限定なもの)」、アナクシメネスは「空気」です。これらはいずれも、「ものごとは何からできているか」といういわば「材料」を扱ったものでした(より後の言葉で言えば、彼等は専ら「質料」的なアルケーを考察したということです)。対して、ピタゴラスと彼の学派は「ものごとはどんな具合にできているか」という、いわば「設計」を問題にしたのです(これも後の言葉にすれば「形相」的なアルケーとなります)。この点で、ギリシア哲学は更なる一歩を踏み出したのだと言うことができます(ただし、この時点では「質料」と「形相」の区別は意識的なものではなく、「形相的なものにも発想が及び始めた」というくらいが正確なようです)。

ピタゴラスの死後2000年以上が経った頃、ガリレオは「宇宙という書物は数学の言葉で書かれている」と述べていますが、ピタゴラス学派の発想はこの先駆をなすものと見ることができます。世界は数学的に記述できる、そして数学的な秩序の下に世界は成り立っていると彼らは考えたのです。

 

調和と秩序のコスモス

加えてピタゴラスは、音楽における音階、また和音について考察した最初の人物でもありました。音の高低を弦の長さの比によって表すことができると気付いたのはピタゴラスだと言われており、彼の名が冠された「ピタゴラス音階」は以降2000年近く西洋音楽の基本となったほどのものでした。

こうした数学的考察の数々は、ピタゴラス学派の人々に「調和」「秩序」を重んじる姿勢をもたらしました。音が調和するように、世界は調和している——というのは些か言い過ぎに聞こえるかも知れませんが、「調和」を意味するコスモスという語を「世界(宇宙)」を意味する言葉として用いた最初の人がピタゴラスだと伝わっていること、また太陽、月、その他の惑星の動きが音楽的な調和、即ちハーモニーを構成しているという説が実際に彼に帰されていることは注目してよいでしょう。

「世界は調和している」というこの感覚は、翻って言えば、人間もまた自然を構成する一部であり、特別な地位にある存在ではないことを意味しています。自然と調和した人間の在り方は現代における大きなテーマの一つですが、具体的に調和とは何か、ということを考察することは簡単ではありません。ですがそこに音楽的なイメージを重ね合わせることができるとすれば、そのルーツにいるのがピタゴラスだということになります。

 

学派の消滅と継承

このような思想を展開したピタゴラス学派でしたが、一方でこの学派が持っていた宗教的な側面にはかなり色濃いものがあり、メンバーは厳しい戒律を守りながら日々を暮らしていたと言われています。そんな中でも学派は順調に規模を増し、クロトンの政治にも影響力を持つほどになりました——しかしそこで、学派に対する迫害が始まってしまったのです。

その理由の一つには、彼らが私有財産を否定し、財産の共有をメンバーの条件としたことがあると言われています。クロトンの裕福な貴族らにとって都合の悪い存在だった、ということでしょう。ピタゴラスはクロトンを追われた先で紀元前496年に亡くなります。またその後も迫害は止まず、紀元前450年頃には僅かな人々を遺してピタゴラス学派は消滅してしまうのです。

しかし学派は消えてもその遺風は去らず、ピタゴラスとその学派の思想は以降のギリシア哲学の流れに大きな影響を与えることになりました。とりわけ、ソクラテスの弟子であり自身も偉大な哲学者であったプラトンには明らかなピタゴラス学派との交流があり、当時のギリシア世界の知的交流の広さを伺うことができます。