創造的教育協会の「哲学ブログ」

幼児から社会人まで、幅広く「思考」と「学び」をテーマに教育・学習事業を展開する一般社団法人。高知県内を中心に活動中。

創造的教育協会は「思考」と「学び」をテーマに高知県を中心に活動する一般社団法人です。

事業内容は幅広く、 1.幼稚園、保育園への教育プログラム提供 2.幼児向け学習教室「ピグマリオンノブレス」の運営 3.中高生を対象としたキャリア研修 4.企業研修 5.社会人を対象とした思考力教室の運営 など、 老若男女を問わず様々な人たちに「よりよく学ぶ」実践の場を提供させて戴いております。
またこの他、学材の研究・開発等、学び全般に関わる活動に携わっています。

ソクラテスと倫理① —— 「徳」をめぐる古典期ギリシア

 

ソクラテス以前の哲学者たちの議論を概観したところで、もう一度ソクラテスに眼を向けることにしましょう。とはいえミレトス学派に始まる万物のアルケーの探求は、実際のところソクラテスの主な関心事ではありません。彼が求めたものは、何よりも「人間として善く生きる」ということ、またそのために実現するべき「徳」の問題でした。

しかし「徳」を論じるソクラテスの立場を理解するためには、彼に先立つ人々の思想、理論的背景が欠かせません。ここではソクラテス以前の哲学史を振り返りつつ、倫理学の祖としてのソクラテスが登場するまでを見ていきたいと思います。

 

 

ホメロスとヘシオドス —— 古代ギリシアの思想的源流

まず何より、古代ギリシアの文化的背景として欠かせないもの。それはホメロスによるとされる2つの叙事詩、『イリアス』と『オデュッセイア』だと言えるでしょう。これらは半ば神話的な出来事とされるトロイア戦争を現代に伝えるものですが、その影響は極めて大きく、古代ギリシアの文化基盤を形成したといっても過言ではないほどです。実際、暗誦が推奨されたとも言われています。

これらの叙事詩が、古代ギリシア人たちの最初の「徳」観を形成したことは、まず疑いありません。そこで謳われているのは、運命に翻弄されながらも決然と振舞う英雄たちの姿 ——「徳」と訳されている元のギリシア語は「アレテー」というのですが、この語は本来、あらゆる種類の卓越性(≒優秀さ)を表すものでした。英雄たちの武勇や知略は、そうしたアレテ—の典型的な姿であったでしょう。ちなみに、この2項目で言えば武勇よりも知略を重んじるところに古代ギリシアの特徴があり、これは以降に続く知性主義の伝統としばしば結び付けられています。

また、ここで触れておきたいのは、「ノモス」と「ピュシス」という2つの言葉です。ノモスとは「法」(=人間の法)であり、ピュシスは「自然」を意味する語なのですが、後者には「本来的な在り方」「神の法」といった含みがあります。ノモスとピュシス――この言葉は古代ギリシアの倫理思想におけるキータームとなっていくのですが、ホメロス叙事詩の特徴として、この両者の区別が明確でなかった、という点が挙げられます。というのも、トロイア戦争の時代はおよそ紀元前1200年。ギリシアにはまだポリスが成立しておらず、氏族的な血縁共同体を形成して人々は生きていました。そこではノモス(=法)が介在する余地が乏しかったということです。従って、ピュシスに従うあり方が有徳の姿として位置付けられていました。

また、ホメロスにやや遅れて登場するヘシオドスの『仕事と日々』(紀元前700年頃に成立)はポリスが形成されて間もないころの詩作品ですが、その第一部では「正義こそはゼウスが人間どもに授けた掟」であると歌われるとともに「勤労は恥辱ではない、無為こそが恥辱なのである」とされています。また第二部以降は素朴な市民道徳とでも呼ぶべきものが歌われており、ここには恐らく形成され始めたばかりであろうノモスが、ピュシスと一体となって理解されていた様子を伺うことができます。

 

ピュシスの探求 —― 自然哲学者の倫理

ピュシスとノモス —― 人間の法と神の法が一体であるという直観は、その後もかなり長くギリシアの思想に息衝いていきました。ミレトス学派に始まる自然哲学者の探求も例外ではありません。むしろ、彼らが探究したものこそがまさに自然(=ピュシス)であり、自然の中の人間、という図式を常に念頭に置いていた自然哲学者たちからすれば、これは当然のことでもあったでしょう。

とりわけ、後期の自然哲学においては洗練された議論が提示されています。既に見たヘラクレイトス万物流転とその法則たるロゴスの提唱者として著名ですが、このような法則はそのまま神の法と言い換えて支障ないものです。我々が感覚的に経験する世界の背後にある本来的な世界の姿とその法則。これこそがピュシスだと考えられたものなのです。また、次のような断章をヘラクレイトスは残しています。

 理性をもって語り,ちょうど国家が法(ノモス)をもって強化するように,万物に共通なものをもってみずからを強化しなければならない,しかも[国法によってよりも]もっと強力に。なぜなら,人間のすべての法は一なる神の法によって養われているのだからだ。

 人間のすべての法は一なる神の法に養われている——ピュシスとノモスの関係を率直に言い表したものと考えれば、ノモスを含みこむようなピュシスのあり方が想定されていたことが分かります。それ故ヘラクレイトスにとっては、こうしたピュシス、あるいはロゴスを知り、またそれらに従って生きることこそが人間のあるべき姿、即ち「徳」のある生き方でした。

 

ノモスの凋落 —― エレア派とソフィストたち

しかし、こうした楽天的とも言える態度は、更に後から現れたエレア派の人々によって強い批判に曝されます。その先駆けであったパルメニデスは「有る」だけがあり、変化も運動も皮相的な事柄に過ぎないと述べた人物ですが、ここには感覚的な事実に対する強い反省があります。論理的に考えれば(少なくともエレア派の人々にとって)変化は否定されるべきものであるにも関わらず、人々は自分の感覚に惑わされてあたかもそれこそが真実であるかのように思い込んでいる——「感覚(=思い込み)」「思惟(=真理)」という対立図式が生まれるとともに、ノモスは感覚の側へと追いやられていきます。かつての自然哲学者たちがピュシスと見なしたものは、ノモスに過ぎなかったのだ——ここに来て、ピュシスとノモスは明確に分離し、更には対立するものと見なされるようになったのです。

こうした区別をよく表すのが、デモクリトスの言葉でしょう。「色彩も甘い辛いもノモスの上のこと,真実にはアトムと虚があるのみ」。もはやノモスは「感覚的、習慣的な思い込み」と見なされるに至っていたのです。

こうした傾向に、ポリスの情勢が拍車をかけます。ペルシャ戦争以降、繁栄の絶頂期にあったアテナイには多くの人々が集まり、結果として素朴な共同体としてポリスを維持することは難しくなりました。出身地も別々で、当然異なった習慣を持つ雑多な人々の群れ——そこに最早、ノモスとピュシスとの神話的一致を見出すことはできなかったのです。ノモスは「人の法に過ぎないもの」と見なされ、昔ながらの「掟」が持つ道徳的意味合いは失われていったのです。

時を同じくして、古代ギリシア悲劇がその最盛期を迎えていたことにも注目してよいでしょう。アイスキュロスソフォクレスエウリピデスという三大詩人の名がとりわけ有名ですが、彼らの作品ではしばしばノモスとピュシスの対立として理解できるものが主題として現われました。ソフォクレスの『アンティゴネー』が典型的な例で、神の掟、自然の法に適うことと信じて兄を埋葬した結果、国の掟を破った廉で捉えられ命を失うアンティゴネーの姿が描かれています。

いずれにせよ、こうした変遷を経てノモスは神話的地位から滑り落ちます。そこに登場したソフィストたちが弁論術を広めたことも、経緯を見れば不思議ではないでしょう——信頼に足るノモスは存在せず、またピュシスを正しく認識できるとも言うことができない。従うべきものが見失われた中で、如何にすれば上手く振舞うことができるか。自分が正しいと他者に思わせる力が重視されたのは、末法的とも言うべき世界観に裏打ちされてのことだったのです。ここに来て「徳」政治的・社会的能力を表すものへと様変わりします。

ただし、繰り返しになりますがソフィストを単に悪しき詭弁家とみなすことは適切ではありません。例えばプロタゴラスは人間が真理(=ピュシス)に到達することに強い懐疑を向け、人それぞれに真実と思われるものがあり、そのこと自体は避けられないともしていますが、それで満足したわけではないのです。真実は複数あり、従って絶対的な真実は最早存在しないが、「善い」真実、「悪い」真実はあると彼は考えました。

病人にとってワインは苦く感じるもので、これは確かに真実ですが「悪い真実」だとプロタゴラスは考えます。逆に健康な人間はワインを甘く感じる。こうした「善い真実」へと人々を導くことを彼は目指したのです。この意味で、「善」を探求する倫理学の起源はソフィストにあると言うこともできます。

しかしそれでも、ピュシスと人間社会の乖離は真理、そして人間本来の在り方(として素朴に信じられていたもの)が見失われてしまうということに違いありませんでした。否それどころか、己の欲望を最優先して望むがままに振舞うことこそが「自然な」生き方だ、という主張すら生まれたのです。これもまたピュシスが見失われてしまった結果であると言えるでしょう。

 

そしてソクラテスへ —― 「知」の希求としての哲学

いずれにせよ、こうした状況下に現れたのがソクラテスです。ここまでの内容を踏まえて改めて見ると、ものごとの「定義」を求める彼の問答法は些か無理があるように見えるかもしれません——それは、ソフィストたちによって強く批判された「思い込み」への道ではないのか?また、「無知の知」についてもさほどの新しさは無いように見えるでしょう。

では一体、何がソクラテスをして「西洋哲学の祖」足らしめたのか? その答は恐らく、ソクラテスがノモスとピュシスを再び一致させることを目指していたという、この点にあります。そうした意味では、彼はむしろ保守的な立場にあったとすら言えるのです。

ここで、「哲学」という言葉の成り立ちを確認しておくことは無駄ではないでしょう。英語で哲学をphilosophyということはご存知の方も多いかと思いますが、この言葉はギリシア語に起源を持ち、philos(≒loving)とsophia(≒wisdom)の合成語、つまり「知を愛すること」を意味するとされます。では、知を愛するとはどういうことか。それは知を求めて止まないという、一種の情熱なのではないでしょうか。

ソフィスト(=知恵者)と呼ばれた人々が「知」の可能性を狭め、ピュシスとノモスを区別し、ピュシスを知ることはもはや不可能だと考えていた中、なお「知」に焦がれた人——「知」を取り戻そうとした人こそがソクラテスだと見ることは、それほど外れていないように思います。

では、そのソクラテス自身は「徳」について、またそれを知ることの可能性についてどのように考えていたのか。このことを次回は見ていきたいと思います。