プラトンの政治理論② —— 国家制度の類型
「正義」とは何か。
アテナイでは、誰もが「正義」そのものではなく「正義の人という評判」、そしてその結果として得られる利益を求めている。「正義そのもの」とは一体どのようなもので、それ自体として求める価値があるとどうして言えるのか……これが、対話篇『国家』においてグラウコンとアデイマントスにより提示された問いでした。
ソクラテスはその答を探るために、個人(人間)に関わる「正義」をよりも先に国家に関わる「正義」を検討してみよう、と提案します。そこには恐らく、アテナイに蔓延りつつあった「不正」に関する共通理解があり、検討材料として扱いやすいという事情がありました。
ソクラテス(=プラトン)が提示する国家の構成員たちの役割分担から、国家制度の移り変わりに関する彼の考察を今回は見ていきたいと思います。
仮想的国家の建設と国家の目的
ソクラテスの検討は、国家というものの起源からの道のりを仮想的に辿るところから始まります。人間は一人では自給自足できず、自らの必要を満たすために他者を必要とする……そうして多くの人々が集まって「国家」は形成されるに至ったのではないか。この想定は、大まかに言えば国家を動物でいうところの群れの延長で捉える発想であり、そう不思議なものではないと思います。
またソクラテスは、人間には誰しも向き不向きがあるもので、それぞれが別々の仕事に向いているものだし、また一人で複数の仕事をこなそうとするよりも各人が自身に向いた仕事をする方が上手くいくだろうと考えます。これも(細かな是非はともかく)話としては分かり易いものでしょう。実際、多かれ少なかれ現代の私たちも仕事を分担して社会を形づくっています。
すると仕事の分だけ必要な人間の種類は増えるし、従って数も増えることになる。また交易を行わない国家とはおよそ考えられないので、交易を生業とする人々も現れる —— すると他国との交流も生じてくるわけですが、こうなるとどうしても軋轢が生じる場合があるので、国の守護者も必要になるでしょう。より厳密には、国のリーダー、指導者としての守護者(≒王)と、その守護者を支える協力者(≒軍人・貴族)が生まれることになります。
さてでは、この国家の目的とは何か。それは国全体の幸福であり、特定の階層だけが幸福になるということではない。そしてこうした幸福のためには、国家の成員となる各人が、自らの職分をよく務めなければならない。
こうした立論には、プラトンによる当時のアテナイにおける政治状況への批判があったことは想像に難くありません。国家本来の目的、という切り口を設定することで利己主義的な行動が不正を生み出すこと、そしてそれが本来的な人間の在り方ではないことが主張されているように筆者には思われます。また取り分け、国民が各々の職をきちんと全うすることの強調は、急激な民主化により混乱に至ったアテナイへの反省があると言えるでしょう。それ故、こうした言説はある種のリアリティを伴い受け止められただろうと推測することもできます。
国家の徳
さて、このように建設され発展した国家には、3つの徳が見出せるだろうとソクラテスは言います。これは守護者(王)、協力者(軍人・貴族)、それ以外の人々(平民)にそれぞれ対応付けられた徳であるとされ、以下のように説明されます。
① 知恵 :支配者の持つ、国を守護するという能力からみた徳
② 勇気 :協力者たちによって担われる、軍務に携わり国を守護するための徳
③ 節制 :優れた人々(支配者・協力者)の欲望がそれ以外の人々の欲望を制御し、
また支配・被支配の関係に合意が形成された状態。これも国を保つという
意味で徳に含まれる
ここまでを列挙した後、ソクラテスはここに4つ目の徳として「正義」を加えます。
④ 正義 :各々の人々が己の本分に専心している状態
王は王として務め、貴族は貴族として、平民は平民として己の本分を堅持し最善を尽くすこと。それ以外のことをしようとするとバランスが崩れて国家は危うくなる。3つの徳を確認することでそれが分かった、とソクラテスは言うのです。
これは逆に言うと、己の本分を守らないものが出現しだすと国家は乱れるということでもあり、実際、そのようにして国家は堕落していくのだとプラトンは考えていたようです。
国家制度の類型
では、国家はどのようにして本来の姿を失っていくのか。『国家』では次のように国家制度の変遷としてその変化が描かれています(対話篇『国家』の本文では、この類型は国家の徳に続いて個人の徳、哲人王思想とその教育に関する議論の後で述べられていますが、本記事の記述の都合上こちらを先に紹介しています。ご注意ご注意下さい)。
① 優秀者支配制
上述の徳を全て兼ね備えた理想状態。知恵を備えた守護者がその力を発揮して
全ての人を相応しい場所に置き、秩序が保たれる。
*プラトンはこれを実現不可能ではないが困難な体制と考える。
② 名誉支配制(貴族制)
優秀者支配の次に現れる、知恵が衰えた状態。守護者に相応しいものが守護者に
就かず、勇気が前面に立つ軍事国家のイメージ。戦争と勝利を求める。
*当時のアテナイでは自ポリスの混乱もあり、旧来からの軍事を中心とした
精神性を維持し、また同時期に反映したスパルタを美化する風潮があった。
やや懐古趣味的と言える位置づけ。
③ 寡頭制
国家の欲望するものが名誉から富へと移った状態。各人が自己の本文に専心する
という構図も成り立たなくなり、金権政治が横行する。
*アテナイでは古くから財産によって市民を階級分けしており、そうした事情を
反映したもの、つまりかつてアテナイで成立していた貴族制を念頭に置いたもの
と見ることができる。
*貴族制と寡頭制の違いは前者が「優秀性」、後者が「富」により支配層を形成
する点に求められる。
④ 民主制
寡頭制においては既に利己主義的な財産欲が国民を支配しており、そのため法も
守られず、ますます富む者と不当に貧困に追い込まれる者が出てくる。
結果として内乱が起こり、寡頭制で支配的地位にあった者が追放された状態が
民主制である。既に失われた規範意識は戻らず、無政府状態・無秩序状態と
なり、一種の自由と平等が実現するがもはや「正」も「不正」もない。
*アテナイで成立した民主制を批判する意図を見ることができる。ソフィストに
代表される「ノモス」の失墜、利己主義が露になった体制。
⑤ 僭主独裁制
民主制の中では、人々は己の欲望を制御することができない。そのため少しでも
思うままにならないことがあると、その不満を後ろ盾とした独裁者が登場する。
独裁者の支配により、市民は最高度の自由から最高度の隷属へと転落する。
*三十人僭主制と、そこで実際に行われた恐怖政治を念頭において語られた
ものと見られる。
プラトンの意図には、恐らく誰もが実感せざるを得なかったアテナイの凋落に対して、国家における「正義」の消失、また利己主義の蔓延を原因として関係づけることが含まれていたのでしょう。「正も不正も強者のためのもの」と言うトラシュマコスの主張は確かに当時の思潮をよく再現するものでしたが、国家という観点から見れば明らかに衰退を招いている......そんなものは「正義」ではない、というプラトンの怒りが見えるようです。アテナイの覇権からの転落を欲望の増大に見るプラトンの洞察は、現代にも通じるものがあるでしょう。
今回はここまで。
次回は、国家を離れた個人における「正義」と、プラトンの説としてしばしば参照される哲人王思想を見ていきたいと思います。