創造的教育協会の「哲学ブログ」

幼児から社会人まで、幅広く「思考」と「学び」をテーマに教育・学習事業を展開する一般社団法人。高知県内を中心に活動中。

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またこの他、学材の研究・開発等、学び全般に関わる活動に携わっています。

プラトンの政治理論⑤ —— 政治家と国制

前回は、プラトンの後期対話篇から『政治家』を取り上げ、プラトンが国家の法律というものをどのように理解していたのか、その入口となる部分を紹介しました。

とりわけ注目しておきたいのは、この時期にもプラトン哲人王思想を —— より厳密には哲学と政治の一致という理想を保持していたこと。それ故、プラトンにとって国家制度や法律の有無は(あくまで理論上ですが)最重要の位置を占める問題ではありませんでした。「知恵に基づいて統治がなされているか否か」こそが本質的な事柄であり、これが達成されているならば原理的に問題はないわけです。何人がかりで決定を下そうが正しいものは正しいし、必要があれば統治者は法律を変えればいい(但し、そうした「知恵」に辿り着ける人物が多数を占めることはあり得ないとプラトン自身は考えています)。

しかし、これが一種の理想に過ぎないことを(それが現実となる可能性は必ずしも否定しないのですが)プラトン自身もよく分かっていました。では、そんな彼にとって現実の政治はどのように映っていたのか。今日はその点を見てみたいと思います。

「本物の政治家」はいない —— あるいは、理想的政治家の不可能性

今日にいたるまで、アテナイに本物の政治家など一人もいた例がなかった。

やや強烈な主張にも見えますが、これがプラトンの政治家(と呼ばれている人たち)に対する評価です。しかし、ある意味では当然のこととも言えるでしょう —— あらゆる国家の課題について唯一の正解を提示できる「知恵」など、理想でしかありえません。この意味での「知恵」を担う政治家など、まず間違いなく存在しなかったでしょうし、存在してもいないし、これからも恐らくは存在しない。理想的な哲学者がいた例もまず無かっただろうというのと(理想的な哲学者がどんな存在なのかは知りませんが)同じです。「お前は理想的な存在ではない」というのはあんまりと言えばあんまりな物言いで、とてもまともな批判にはなっていない。

とはいえ勿論、そのことにプラトンが無自覚だったとも思えません。すると、彼の意図は次のように理解すべきではないでしょうか。我々は「理想的政治家は存在しえない」ということを前提として受け入れなければならない —— それでも機能する国家運営のあり方を考えなければならないのだと。

ここには、既に繰り返し触れたソフィストたちに対する批判に通じる論点があります。プラトンはその当時に施行されていた法律を「かつて理想的君主たる統治者が定めた法を(不完全ながらも)写したもの」として位置づけていました。ここにある種の懐古趣味、また少なくとも保守的な姿勢を見て取ることは容易ですが、その真意は「易々と法律を定め、変更してしまうこと」への強い懸念にあったのだと筆者は見ています。法は「人間の定めたもの」に過ぎず、また強者のためのものである —— こうした当時の感覚にプラトンは警鐘をならしているのです。

実際、プラトンの立場からすれば法律を変更しうる正当な権力とは「知恵」に基づいたそれのみでなくてはなりません。ところが現実のアテナイでは恣意的な立法が横行していた。「王の術」(=「政治の術」)を弁えないものが、分を越えて法律に手を出すと碌なことにはならない —— 彼らは理想的政治家などではないのだ。現行法を是認するというよりも、権力者の安易な法改正を否定したと見る方がよいように思います。

またもう少し詳しく見ると、民会 —— アテナイにおける直接民主制の際たる特徴とされる全市民(但し、女性や奴隷を含まないという点には注意すべきでしょう)による集会の中で、しばしば法律の適用を巡る決議(民会決議)を行っていた点も注目に値するかも知れません。法とその適用は、アテナイ市民にとって自覚的な問題であったということですが、そこで恣意的に法を曲げることを戒める意図がプラトンにはあったと考えることができます。

この意味で、プラトン権力者ですらも法律には従うべきであるとする立場、いわゆる「法治主義」の論者の一人として数えられうることになります。しかしその内実には微妙なところがあって、理想的統治者(=哲人王)であれば「私が法律だ」と言って一向に差し支えないことにもなる。いわば、現実主義的法治主義とでも言うべきものを提示していたのがプラトンだと言えるでしょう。

国制の分類、再び

このような次第で、やや誇張した表現になりますがプラトンにとっては理想的な統治体制が現実的でないという前提のもと「どんな政体が一番マシか」という問題が考察されることになります。判断基準は2つ。1つは、上に述べてきた「法律」が遵守されているか否か。もう1つは支配者の数 —— どの程度まで権力が分散しているかの具合だと言い換えると分かり易いでしょう。

法律が遵守されるならば、権力者の数は少ない方が統制が取りやすい。しかし他方、法律が守られないならば、権力者の数が少ないほどより容易に、かつ強い程度で専横が生じることになります。こうした観点に基づき順位づけをすると、プラトンによる国制の評価は次のように整理できます。

 

 ① 王制 (単独支配/法律遵守)

 ② 貴族制(少数支配/法律遵守)

 ③ 民主制(多数支配/法律遵守)

 ④ 民主制(多数支配/法律軽視)

 ⑤ 寡頭制(少数支配/法律軽視)

 ⑥ 僭主制(単独支配/法律軽視)

  *プラトンは2つの民主制を名前の上で区別していませんが、
   敢えて名付けるなら衆愚制と呼ぶことができるかと思います。

 

但し、ここでいう「王」とは哲人王ではないことに注意して下さい。哲人王はこの順序づけに関わる「法律」の起源を制定した存在として理解されているのです —— またプラトン自身は「第七の政体」として、「知恵」に導かれた国制を別の水準に位置づけています。

敢えて注目する点があるとすれば、王制や貴族制を高く評価する一方で僭主制を最悪の形態と見なす姿勢が『国家』から維持されていることでしょう。「法の支配」という現実路線を辿り始めながらも、なおアテナイの民主主義に対する反省をここから伺うことができます。

 

それでは、プラトンの政治思想が最後に辿り着いたのはどんな場所だったのか。

次回は最晩年の対話篇『法律』を取り上げます。