創造的教育協会の「哲学ブログ」

幼児から社会人まで、幅広く「思考」と「学び」をテーマに教育・学習事業を展開する一般社団法人。高知県内を中心に活動中。

創造的教育協会は「思考」と「学び」をテーマに高知県を中心に活動する一般社団法人です。

事業内容は幅広く、 1.幼稚園、保育園への教育プログラム提供 2.幼児向け学習教室「ピグマリオンノブレス」の運営 3.中高生を対象としたキャリア研修 4.企業研修 5.社会人を対象とした思考力教室の運営 など、 老若男女を問わず様々な人たちに「よりよく学ぶ」実践の場を提供させて戴いております。
またこの他、学材の研究・開発等、学び全般に関わる活動に携わっています。

プラトンの政治理論⑥ —— 法律の制定と「夜の会議」

前々回、前回とプラトンの後期対話篇の一つ『政治家』から、理想的な政治家の在り方とその不可能性、また法律の安易な改変に対する危惧を取り出して順にご紹介してきました。

 しかし —— これらの記事を読んで戴いた方はお気づきのことかと思いますが —— プラトン哲人王、あるいはまた法律の起源となる立法者というまさしく理想的な政治家、「知恵」を備えイデア(=真理)を知る人物を前提しており、そのために現実とはまず一致しないと思われる主張を展開することになっていました。『国家』から『政治家』へとより後の著作に進む中で「哲人王の統治」から「法の支配」へというアイデアが生まれはしたものの、しかしここでも肝心の「法」は理想化されたままになっていたのです。

その結果、法を変更することへの危惧は示すことができたとしても、本来の方の正当性については神話的な記述に頼らざるを得なかった部分が『政治家』にはある。この困難をプラトン自身がどう見ていたのかは分かりませんが、ともかく彼本人は最晩年の『法律』において更に現実的路線へと舵を切ることになります。しかしながら、その見直しこそが哲学本来のあり方への回帰でもあった —— これが今回お話ししたいと思う筆者の見立てです。

仮想的国家の建設、再び

『法律』は、主人公でありプラトン本人とも目される「アテナイからの客人」が、クレタ人とラケダイモン人(=スパルタ人)、2人の老人と国制や法律について論じあう対話篇となっています。本作に登場するクレタ人は「クレタ島で新しい植民市を建設する」計画、特にその植民市の立法には携わっている人物であり、残る2人に助言を求める —— それならということで「マグネシア」という仮想国家の建設を議論しよう、というのが大まかな内容です。

『国家』でもテーマとなった仮想国家の建設がここでもう一度試みられているわけですが、注目すべき特徴の1つは哲人王思想が明示的に語られることは最早なく、『法律』の中で哲学と政治の一致という理想は立法者と僭主の協同として描かれている点です。望ましい国家建設のためには、僭主と優れた立法者が出会わなければならない。そして僭主は、この立法者に立法を託せる度量の持ち主でなければならないというわけ。

これだけを見ると、2人合わせて哲人王、という風にも映りますが —— もう1つ重要な点は、法律に「序文」を付けることをプラトンが本著作の中で提案している、ということ。そしてこの「序文」が、一種の「説得」として提示されていることです。

説得と言うと、アテナイの弁論術よろしくレトリックや感情に訴えて他者の同意を引き出すものと思われるかも知れませんが、そこで主張されている内実はむしろ逆とも言えるものでした。プラトンはこの序文を、法律の根拠を明らかにする論理的なものと考えていましたし、更に重要なことには、ソクラテス由来の問答法、対話の結果としてこの「序文」が制定されると見込まれていたことが挙げられます。これはどういうことでしょうか。

問答法に期待される効果は、無知の知を明らかにすること。そしてその上で、真理へと接近することでした。その中で判明した事柄、根拠を各法律の序文として明らかにしておくことをプラトンは提案したのです。勿論、これには単純な説得の効果、同意を得るという動機が含まれてもいるでしょう。しかし、『法律』において「法律」は、正解を知る理想的知性の持ち主から命令としてもたらされるものとは想定されていないということにはそれ以上の大きな意味があると言わねばなりません。統治者の命令ではなく、民衆の議論の結果としての法。現代で言う熟議型の民主制に近いものが想定されていたようなのです。他方、「夜の会議」は一部のエリートにより組織されている点を重く見れば、議会制のあり方に近いとも言えるかも知れませんが、いずれにせよ「対話」や「議論」がクロースアップされていることには注目していいでしょう。

すると必然、『法律』に登場する立法者は完成された「知恵」の持ち主ではない。対話の相手たちとその都度の議論の中で概念を練り上げていく、即ち「無知の知」を出発点とするソクラテス以来の哲学者像がここには浮かび上がってきます。そもそも「理想的知者」など存在しないということ自体が、ソクラテスの出発点、「無知の知」の内実に含まれていたと見るならば、プラトンは『国家』、『政治家』においてそうした前提を忘れた哲学者像を提示していたとすら言えるかも知れません。筆者が『法律』を原点回帰と見る理由の1つはここにあります。

 

夜の会議

またもう1つ、『法律』を特徴づける議論の1つが「夜の会議」と呼ばれる集会の存在です。立法者が去った後も、国家は法律の維持と改正を適切に遂行する必要がある —— それを担保するための仕掛けがこの会議でした。

実務としては法の維持、改正は「護法官」と呼ばれる人たちが最初の立法者から引き継ぐことがマグネシアでは想定されていました。ならば、その活動の質を如何に確保するのか。その答も、プラトンによれば問答法、対話の実施だったのです。

夜の会議は、護法官やその他の重要な公職についた市民の一部(おおよそ50~60代)、またこれらの人々に認められた若者(30~40代)からなるとされました。この人々が何をするのかと言えば、国家内の「無神論者」 —— ここでは法がピュシスに一致せず、人為的なノモスに過ぎないと見なすあの態度の持ち主を想定して下さい —— の中から、単に無知の故にそうなっている人々(つまり本来の気性には問題の無い人)らとの対話、問答法の実践なのです。また合わせて、外国に視察に出向いていた人々からの聞き取りもその仕事とされていました。つまり自分たちとは異なる価値観に触れて、その上でそれらを包摂していくというプロセスに常にさらされ続けることが求められていたのです。

この実践の中で「夜の会議」のメンバーたちは、まさに問答法の効果として自らの無知を自覚し傲慢を戒めながら、より望ましい結論、合意の形成へと進んでいくことができる。そしてその結果、彼らは日中の職務においてより望ましい判断を下すことができるだろう。これがプラトンが最後に提示したアイデアでした。

 

「哲学すること」への回帰

勿論、プラトンの議論は多岐に渡っており、本記事で紹介することができたのは僅かな部分に過ぎません。しかし、それでもこの変化がプラトンの思想史においてどう位置づけられうるのかを問うなら、それはやはり原点への回帰であろうと筆者は考えます。

哲人王が理想的な知性、正解の持ち主であると仮定するならば、それはソクラテスが批判した「知者」(=ソフィスト)の在り方とどれほど違うのか。大切なのは人間の限界を自覚しながら、なお少しでも望ましい答に近づこうと努めること、それこそが「哲学する」ということだったはずではないか。

プラトンの政治思想はしばしば君主制から法治主義、民主制への移行として理解されていますが、筆者はこの移行にソフィストから哲学者へ、という文脈を(プラトン自身がソクラテスに見出したものとは少し意味合いが異なるでしょうが)重ね合わせてみたい。そしてその最終的な主張を、プラトンが否定した混迷を極めた民主制(≒衆愚制)からの、熟議による合意形成を前提とする民主制へのシフトとして理解できるのではないかと考えています。

 

つまるところ、私たちは哲学者になることができるか。

これは哲学にコミットしようとしている筆者の願望かとも思いますが、プラトンの政治理論はそうした問い掛けを私たちに遺したと言えるのではないでしょうか。