創造的教育協会の「哲学ブログ」

幼児から社会人まで、幅広く「思考」と「学び」をテーマに教育・学習事業を展開する一般社団法人。高知県内を中心に活動中。

創造的教育協会は「思考」と「学び」をテーマに高知県を中心に活動する一般社団法人です。

事業内容は幅広く、 1.幼稚園、保育園への教育プログラム提供 2.幼児向け学習教室「ピグマリオンノブレス」の運営 3.中高生を対象としたキャリア研修 4.企業研修 5.社会人を対象とした思考力教室の運営 など、 老若男女を問わず様々な人たちに「よりよく学ぶ」実践の場を提供させて戴いております。
またこの他、学材の研究・開発等、学び全般に関わる活動に携わっています。

哲学とは何か?

初めましての皆さまへ

今このページを見ているあなたは、たぶん、「哲学」に興味がおありなのだと思います。
しかし、この「哲学philosophy」とは何でしょうか?

 

世の中は「哲学」と名の付くもので溢れています。「人生哲学」「経営哲学」「宗教哲学」「教育哲学」「政治哲学」…...逆に、哲学と結び付かないものの方が少ないくらいかも知れません。これらに何か共通点があるのでしょうか?
あるいは「哲学でない」ものがあるとすれば、それはどんなものなのでしょうか?

 

「哲学とは何か?」

これを私たちが取り組む最初の問題にしたいと思います。

 

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記号化 Symbolization ―― 幾つかのキーワードで現代を考えたつもりになる⑤ その2

シンボル」とは「習慣的に他のものと結び付けられた記号」であり、私たちの言語もこのシンボルの一種である。これが前回に確認したことでした。どういうことかというと「言葉」と「言葉の意味(ここでは各々の言葉が指し示す対象のこと)」、例えば「鳩」という言葉とその対象「🕊」との対応関係には偶然と言わざるをえない部分があり、他の関係がありえたということ。そしてもう一点、言語が違えばこの対応関係のあり方も随分と違うということでした。

今日はここからスタートして、「記号化 symbolization」という事柄について更に考えていきたいと思います。

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記号化 Symbolization —— 幾つかのキーワードで現代を考えたつもりになる⑤

前回は「抽象化 abstraction」というワードから、物事の1部分を抜き出して扱うことのメリット・デメリットを取り上げました。続いて今回は、「記号化 symbolization*1」—— 「シンボル symbol」という言葉に注目したいと思います。先に触れておくと、「抽象化」と「記号化」はお互いに少しずつ関連し合うものだと見ることができるのですが、それは私たちが普段から使っている「言葉」を巡る問題、あるいは言語的な思考を巡る問題にこの2つが大きく関わっているからです。

私たちは言語を用いずに自分の思考を表現することができない ―― できたとしても、それを正確に他者に伝えられるかと言うと困難だということは、想像して頷いて戴けるかと思います。逆に言うと、このように情報伝達の媒体として見た場合、言語とは非常に優れた手段だと言うことができるでしょう。

では何故、言語は私たちの思考を(完璧にではないにしても)正確に伝えることができるのか? それを考えてみると、その裏側にも見えてくるものがあります。

*1:symbolizationという言葉は「象徴化」とした方がより正確なのですが、一般的な言葉としてより身近な「記号」としました。「象徴」は記号の一種であり、今回に扱うような習慣的に何かに結び付いた記号を指します。

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抽象化 Abstraction —— 幾つかのキーワードで現代を考えたつもりになる④

「抽象化」と言うと、ビジネススキルないし思考法としてしばしば取り上げられている言葉なので、そちらをイメージするという方がおられるかも知れません。勿論、同じ言葉でもありますし基本的にはその理解で間違いないのですが、今回のテーマはその裏と表を見ること。この一連のシリーズは概して普段あまり意識されていない(だろうと筆者が思う)側面を確認していく意図があるのですが、「抽象化」についても少し気にかけておきたい部分があるということです。

「抽象的 abstract」という言葉は、日本では比較的ネガティブな意味合いで用いることが多いだろうと思います。それは恐らく「具体的 concrete」の対義語であることに起因しており「はっきりしない」、「曖昧」といった具合に理解されている ―― しかし、ちょっと驚くべきことなのですが「抽象化」とは逆に物事をはっきりさせるための方法であるとも言われています。

これはどういうことか。そこから始めることにしましょう。

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○○主義 -ism —— 幾つかのキーワードで現代を考えたつもりになる③

「○○主義」と聞くと、どんな印象をお持ちになるでしょうか。

筆者の感覚からすると、少し遠慮したいというか、遠ざけたいというイメージをお持ちの方が結構な割合でおられるのではないかと感じています。特に前回に取り上げた「分断 Division」との関係で言えば、「分断」をもたらす当のものと見る向きもあるのではないでしょうか。

しかしこの言葉は、それ自体ではこれと言って否定されるべき意味内容は持っていません。辞書的には「継続的に採用されている考え・主張」、「思想上の基本方針」くらいの意味になります。またそうした思想に基づく社会制度等も「○○主義」と呼ばれますが、こちらは副次的な意味と言えるものです。

かなり大まかになりますが、まとめると「考え方」と「その考え方に基づいて作られたもの」を指すだけの言葉が、何処か独特の重みをもって私たちに感じられるとしたらそれは何故でしょうか。今日はこのことを考えてみたいと思います。

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分断 Division ―― 幾つかのキーワードで現代を考えたつもりになる②

前回、前々回にキーワードとして取り上げた「多様性 Diversity」に続いて、今回は「分断 Division」。この数年で「社会の分断 social division, division of society」という語を聞く機会は随分と多くなり、まさに現代の鍵となる言葉の1つと言っていいのではないかと思います。

「社会の分断が深刻化している」......こんな言い回しが日常的なものになっているとしたら、恐らくこの言葉もまた「社会 sosiety」のあり様に関わる概念の1つなのでしょう。しかしそれはひとまず措いて、「分断」という言葉そのものを考えてみたいと思います。

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多様性 Diversity ―― 幾つかのキーワードで現代を考えたつもりになる① その2

「多様性」という言葉はその中に「不一致」を含んでいる ―― 多様であるということは互いに何かしら違っているということのはずですから、これは不思議でも何でもありません。しかし「多様性を尊重する社会」というものを考えた時、この不一致は何処に行くのでしょうか。これが前回に考えた内容でした。(前回記事はこちら)

もし「一致しないものを一致するものとして扱う」ということなら、ここには無理があるように見える。またこの矛盾を避けるために「同じものを同じに扱う」ということが「多様性の尊重」だと考えるならば、その時、社会は多様性を考慮しない(=多様なものを同じものと見なすために不一致を無視する)ことでしかこれを達成できないように思われる。個人のレベルでは多様であったとしても、社会のレベルではこれを捨象するということです。

しかしこれは、恐らく「多様性の尊重」として語られる望ましいイメージからはかなり外れたものになってしまっている......ならば、こうした考え方の何処に取り違いがあったのでしょうか? 引き続きこのことを考えてみたいと思います。

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