2020-01-01から1年間の記事一覧
前回、前々回と本記事はプラトンの宇宙論の概要を辿ってきました。確認してきた図式としては、前回の最後にまとめた通り、 ① モデルとしてのイデア ② 材料としてのコーラー ③ 変化の原動力としてのヌース ④ 変化の目的としての善 これらを生成変化する世界を…
前回は、世界の成り立ちに関してプラトンが提示した体系的な図式について、その入口部分をご紹介しました。① 創造主としてのデミウルゴス ② 創造のモデルとしてのイデア ③ イデアを受け取る材料としてのコーラー(場所)というセットがその基本的構図となり…
気付けば、ソクラテスに続いてプラトンも随分長く取り上げています。特に政治理論については、国体論や哲人王思想など、プラトン自身の問題意識も交えてかなり踏み込んだところまでご紹介することができました。しかし、ソクラテス以前の哲学者たちとの繋が…
前回、前々回と本記事ではプラトンの対話篇『国家』を参照しながら、プラトン自身がイデアに関する説明として持ち出す「太陽の比喩」、「線分の比喩」を見てきました。今回はそれらに続く第三の比喩、即ち「洞窟の比喩」を見ていきたいと思います。3つの比…
前回までに、連続6回に渡って本記事はプラトンの政治理論を扱いました。今、それが一段落したところで少し触れておきたいことがあります。それは、プラトンが提示した政治理論にどのような現代的意義があるのかということ —— 少し言い方を変えると、どんな…
前々回、前回とプラトンの後期対話篇の一つ『政治家』から、理想的な政治家の在り方とその不可能性、また法律の安易な改変に対する危惧を取り出して順にご紹介してきました。 しかし —— これらの記事を読んで戴いた方はお気づきのことかと思いますが —— プラ…
前回は、プラトンの後期対話篇から『政治家』を取り上げ、プラトンが国家の法律というものをどのように理解していたのか、その入口となる部分を紹介しました。 とりわけ注目しておきたいのは、この時期にもプラトンが哲人王思想を —— より厳密には哲学と政治…
一連の記事の中で、私たちはプラトンの政治理論を「正義」の追求、国制の変遷、哲人王思想といった具合に順に確認してきました。その説によれば、哲学を収めた人物 —— 利己主義や相対主義に陥らない「知恵」を備えた人物による統治こそが国家の理想像という…
簡単に前回の復習から。国家の徳とは、「知恵」・「勇気」・「節制」 の3つ —— 国の統治者が担う「知恵」と、軍人ないし貴族が担う「勇気」、そしてその他の人々の欲望が制御されている状態としての「節制」でした。これらはいずれも、国家を保持するために…
「正義」とは何か。 アテナイでは、誰もが「正義」そのものではなく「正義の人という評判」、そしてその結果として得られる利益を求めている。「正義そのもの」とは一体どのようなもので、それ自体として求める価値があるとどうして言えるのか……これが、対話…
前回は、プラトンが生きた時代を特徴づけるアテナイの政治的盛衰について確認しました。王政から寡頭制(≒貴族制)、民主制へと至り、やがて衆愚制から僭主独裁という末路を辿ったアテナイ(但しその後、民主制に復帰してはいますが) —— その凋落を見届けた…
ここ何回か、イデア論を巡ってプラトンの著作『国家』に何度か言及してきました —— こんな風に思われた方もいたかも知れません 。「『国家』ということは国家論? プラトンは政治思想家だったの?」と。答から言えばその通りです。より正確には、プラトンは…
前回はプラトンによる対話篇『国家』を参照して、<善のイデア>について説明する太陽の比喩を確認しました ―― 今回はそれに続いて、もう一つプラトンが提示した比喩を見ていきたいと思います。 太陽の比喩をソクラテスから聞かされたグラウコンは、一応の了…
先回、本ブログではプラトンのイデア論について取り上げました。ソクラテスが問答法を通じて追い求めた事物の「定義」を与えるものでもあり、また私たちが確かな「知識」を持ちうることの根拠としての役割を持つもの。私たちの魂は、この世界を離れた何処か…
某日夜、筆者が主催する「こうち哲学カフェ」が第1回を迎えました。オンラインでの開催となり少しお互いの距離を感じる反面、距離を保ったまま話ができるという側面もあり…...話辛くもあり、話し易くもある。また少し違う哲学カフェの在り方を新鮮に感じて…
ソクラテスは、存命中に一冊の書物も書かなかったと伝えられています。その彼の教説について我々が詳しく知ることができるのは何故かと言えば、それは弟子たちがソクラテスの言葉・思想を引き継ぎ、書き残したからに他なりません。そうした弟子たちの中に、…
前回の続きです。今回も「Seekers」様主催の「対話すなっく」の回想になります。 相手の怒りを認める ―― 「謝罪」の意味 さて、このように考えると謝罪が専ら感情に関わるという理由も分かってきます。もし謝罪が「負担のコスト化」に他ならないとすれば、こ…
某日、高知大学の学生プログラム「Seekers」様が定期的に開催しておられます、「対話すなっく」と銘打たれたオンライン哲学カフェに参加する機会を戴きました。 テーマは「謝罪」。 最近、何か謝ったことはあった? 逆に許したことは? 「ありがとう」と似た…
ソクラテスに関わるトピックをかれこれ10日間、あれこれと取り上げてきました。キリよく10日となったのは偶然ですが、次に進む前に、折角の機会なので現代の視点、少し離れた場所からソクラテスについて考えて見たいと思います。それは何より――記事を書き始…
今回は、前回に引き続きソクラテスの倫理思想を解説していきます。 エレア派の哲学者たちやソフィストによって、古来の「徳」のあり方、ノモスとピュシスの一致は最早アテナイにおいて顧みられなくなりつつありました。混迷を深めていくポリスにもう一度ある…
前回の記事では、ソクラテスに至る古典期ギリシアの歴史の中で、「徳」という言葉の移り変わりがあったことをご紹介しました。ノモス(人間の法)が成立するポリス以前の時代からノモスとピュシス(神の法)の神話的一致が受け容れられていた時代にかけては…
ソクラテス以前の哲学者たちの議論を概観したところで、もう一度ソクラテスに眼を向けることにしましょう。とはいえミレトス学派に始まる万物のアルケーの探求は、実際のところソクラテスの主な関心事ではありません。彼が求めたものは、何よりも「人間とし…
思いがけずソクラテス以前の人々を長く紹介しておりますが、今回で一応の区切りを…...ということで、以前にも少しだけ触れたソフィストたちを最後に取り上げたいと思います。ソフィストとは「賢い人」、また「教えてくれる人」というほどの意味合いですが、…
前回の記事では、「有る」というただ一つのものだけがあるパルメニデス、また彼を擁護して運動や変化を否定する議論を展開したエレア派のゼノンをご紹介しました。この議論を受けて、そもそも変化とはどのようなもので、どのようにして起こるのかという問題…
ゆく河の川の流れは絶えずして、しかももとの水に在らず——『方丈記』冒頭の一節です。なるほど、確かに川を流れる水は止めどなく流れ、完全に同じ状態になることは二度とありません。 しかし、ならば何故その川を私たちは「同じ川」だと言うことができるので…
前回に続いて、ソクラテス以前の哲学者たちを紹介していきたいと思います。タレスを始めとするミレトス学派がアナトリア半島の西岸(現在のトルコ、エーゲ海沿岸)のミレトスを中心地としたのと同じように、イタリア半島の南側も当時はギリシア人による植民…
既にご紹介した通り、古典期のギリシアで西洋哲学が始まったこと、またソクラテスが西洋哲学の祖と目されていることは確かです。しかしこれらのことは、必ずしも事実ではない――より正確には、事実の全てではありません。ソクラテス以前の哲学者、と今では呼…
前回の記事に続いて、ソクラテスの足取りをもう少し追ってみましょう。今回は、その前回記事でも少しだけ触れた問答法について見ていきたいと思います。 ソクラテス的対話などとも呼ばれるこのプロセスは、ものごとの「定義」を巡って交わされたソクラテスと…
哲学はいつどこで終わりを迎えるのか。何か無暗に壮大な問いですが、これは正直なところ分かりませんし、分かりようがありません。けれどいつどこで哲学が始まったのか、ということであれば大まかには言うことができます。古代ギリシアはアテナイ(現在のア…
初めましての皆さまへ 今このページを見ているあなたは、たぶん、「哲学」に興味がおありなのだと思います。しかし、この「哲学philosophy」とは何でしょうか? 世の中は「哲学」と名の付くもので溢れています。「人生哲学」「経営哲学」「宗教哲学」「教育…