ソクラテスと倫理② —― 「徳は知なり」
前回の記事では、ソクラテスに至る古典期ギリシアの歴史の中で、「徳」という言葉の移り変わりがあったことをご紹介しました。ノモス(人間の法)が成立するポリス以前の時代からノモスとピュシス(神の法)の神話的一致が受け容れられていた時代にかけては、ピュシスに従うことこそが「徳」のあり方として理解され、またその典型的な姿としてホメロスの描く英雄たちを位置づけることができました。
ところがエレア派からソフィストたちの時代になると、ノモスは「人間の法に過ぎないもの」と見なされるに至り、ピュシスとの一致という図式が大いに揺らぐとともにピュシスそのものを知ることは不可能ではないかという疑惑が付きまとうようになります。そのように見なされたノモスには道徳的な拘束力は最早乏しく、それ故、「徳」もまた混乱するポリスの状況下で上手く振舞う方法、即ち弁論術を始めとする様々な技術と見られるようになります。ソフィストたちは「徳」を教えると称して、実際にはこうした技術を教授していたようです。
ソクラテスは、そんな最中にアテナイに現れた人でした。そして、改めて旧来の「徳」に向き合おうとした人だったのです。
「善く生きる」
では、ソクラテスにとって「徳」とはどのようなものだったとのでしょうか。まず言えることは、彼にとってそれは「善く生きる」ということ、即ち「善」に深く結びついていたということです。
「最も尊重すべきことは、ただ生きることではなくて、善く生きることである」(『クリトン』より)
しかし、善とは何か? この言葉自体は、当時もこれといって新しいものではありませんでした。「徳」と「善」の結びつきも、珍しくはなかったでしょう。善きものをより多く手にして、善き生を楽しむ術——より多くの報酬・財貨を得る術だと考えると分かり易いでしょう――ソフィストたちが広めていたものは、まさしくその種のものだったからです。
しかも、ソクラテスは「善く生きる」ということの全貌を自分は掴んでいないという自覚がありました。だからこそ、彼はそれを「知っている」と嘯くソフィストたちの許を尋ね、問答を繰り返していたのです。実際には知らぬものを知っていると騙り、かつての「徳」とは似つかぬ小手先の技術を教える人々——これはかなり一方的なソフィストへのレッテルにも見えますが、ソクラテスはそんな風に考えていたようです。
「正しい仕方」
ある対話篇で、ソクラテスはマケドニア王アルケラオス(B.C.413 - B.C.399)について次のように述べます。この人物は自分の叔父と従弟を暗殺して王位についており、在位中にはマケドニアの国力を大いに向上させた人物なのですが「財産や権力を不正なやり方で獲得した」ことは間違いない(アルケラオス本人は思うところあるでしょうが)。対話相手が「罰を受けていないのであれば並ぶものがないほど幸福」だと評価するのに対して、ソクラテスは「彼が不正な仕方でそれらの善きものを手にしたのなら、最も惨めな人間である」と正反対の評価を下すのです。ここに、当時のソフィスト的な価値観とソクラテスの考えが対照的に現れています。
ソフィストにとって「善」が財産や権力、名声その他の現世的なものであったのに対して、ソクラテスにとっては「正義」こそ最大の善に他なりませんでした。それ故に、ソフィストたちが広めていた上辺の知識、手練手管は尚更に非難すべきものに映ったのでしょう。ソクラテスは正義や特に基づいて行われる事柄を「善美なもの」とも言い表しており、「善く生きること・正しく生きること・美しく生きることの」一致がここでは想定されていたと見ることができます。
「人間並みの知恵」
だとすれば他方、ソクラテス自身は「正義」や「徳」をどう考えるのでしょうか。この答は、実は既に一連の記事の中で確認してきています —— 自分はそれを知らない、とソクラテスははっきりと答えます。これこそが「無知の知」の内実なのです。
こと善や美という事柄に関して、これを知っていると言えるのは神のみであるとソクラテスは考えていました。そしてそれを知ったつもりになっている人間とは人間並み以上の知恵の持ち主であろう、と痛烈な皮肉を浴びせるのです。対して自分は、知らないことをその通りに知らないと思っている——「人間並みの知恵」こそがソクラテスの知恵であり、それ故に彼は、裁判にかけられた際も死刑を恐れることなくこのように述べました。死刑を恐れるとは、あたかも死が最悪の事柄だと知っているかのようであるが、私はそんなことは知らないのだと。
その上でソクラテスは、無知の知を伴う人間並みの知恵の中で、僅かでも神に近づいていくことこそ正しいあり方だという確信を持っていました。これをノモスとピュシスを少しでも一致させることだと言い換えるならば、ソクラテスの意図を時代的な流れの中で理解することもできるでしょう。
知識や認識に強い疑いを投げかけたという点では、ソクラテスの態度はソフィストたちに近しいものがあります。しかし、そこから導き出した結論が両者においては正反対だったと言うことができるでしょう。いわば諦めて現世主義へと傾いていったソフィストたちに対して、なお善と正しさを求めようとしたソクラテス。
知を求めて止まない愛知者の姿は、今も哲学の原型として多くの人の尊敬を集めているのです。