創造的教育協会の「哲学ブログ」

幼児から社会人まで、幅広く「思考」と「学び」をテーマに教育・学習事業を展開する一般社団法人。高知県内を中心に活動中。

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記号化 Symbolization —— 幾つかのキーワードで現代を考えたつもりになる⑤

前回は「抽象化 abstraction」というワードから、物事の1部分を抜き出して扱うことのメリット・デメリットを取り上げました。続いて今回は、「記号化 symbolization*1」—— 「シンボル symbol」という言葉に注目したいと思います。先に触れておくと、「抽象化」と「記号化」はお互いに少しずつ関連し合うものだと見ることができるのですが、それは私たちが普段から使っている「言葉」を巡る問題、あるいは言語的な思考を巡る問題にこの2つが大きく関わっているからです。

私たちは言語を用いずに自分の思考を表現することができない ―― できたとしても、それを正確に他者に伝えられるかと言うと困難だということは、想像して頷いて戴けるかと思います。逆に言うと、このように情報伝達の媒体として見た場合、言語とは非常に優れた手段だと言うことができるでしょう。

では何故、言語は私たちの思考を(完璧にではないにしても)正確に伝えることができるのか? それを考えてみると、その裏側にも見えてくるものがあります。

 「シンボル」というもの

いつも通り、言葉の確認から始めましょう。「シンボル」は英語 "symbol" の音をカタカナに転写した言葉(フランス語やドイツ語、スペイン語でも元は同じ言葉です)で、遡ると "σύμβολον [súmbolon]" という古いギリシア語に由来するとされています。この言葉も「記号」を意味する語として用いられていたようですが、成り立ちを見ると英語の "together" や "with" 、つまり「一緒に」という具合の意味を持つ接頭辞 "syn-"*2と、"put" や "throw"、「置く」や「投げる」に相当する "bállō" からできている。すると「シンボル」とは「一緒に置かれたもの、投げられたもの」というほどの意味になるのですが、これは平たく言うと「セットになっている」ということです。

 

慣習としての「記号」と言語

さて、このように見ると "symbolization" は記号化、あるいはシンボル化と言ってもいいでしょうが、この言葉も「セットにすること」を表わしていることになります。それが記号とどう関わってくるのでしょうか。ここで日本語である「記号」の意味も確認しておきましょう。折角なので今回はgoogleで検索してみました ―― 「社会習慣的な約束によって、一定の内容を表すために用いられる文字・符号・標章などの総称。言語も記号の一つと考えられる。*3」言葉も記号の1つ、とも書かれていて丁度いいですね。「社会習慣的」、というのがポイントです。

どういうことか考えてみましょう。「シンボル」という言葉の用例は、1つにはこんな具合でしょうか。

 

 例①「鳩は平和のシンボルである」

 

ちょっとステレオタイプ過ぎるかも知れませんが、例えば、平和の大切さを訴えるイラストなどに鳩が(それも真っ白な鳩が)含まれていると、私たちは「あぁ、この鳩は平和を表現しているんだな」と理解することができます。これがつまり、「鳩」と「平和」とがセットになっているということ。そしてこの例を見ると、鳩と平和が結び付いているのは偶然のことで、私たちがそんな風に習慣的に組み合わせているのだということも分かるかと思います。「平和」と結び付くのは「鳩」でなければならず、「雀」であってはならない、という理由はないだろうということです。

ここで、もう少し話を進めます ―― こんな風にも考えられないでしょうか。「鳩」という言葉は確かにあの鳥の一種である「🕊*4」、私たちが「鳩」という言葉で意味しているあの「🕊」を、まさしく意味しているわけなのですが、この結びつきについてはどうでしょうか。

 

 例②「「鳩」は「🕊」を意味する」

 

このセットに、「鳩」と「平和」の結び付きと何か根本的にことなるものがあるでしょうか? ―― 「鳩」は「🕊」を意味しなければならず、「🐓」を意味してはならないとする理由があるかと言えば、どうも無さそうに思われます。皆が明日から「鳩」と「鶏」のセットを入れ替えて、「鳩」で「🐓」を、「鶏」で「🕊」を表すようにすれば、誰も困らないでしょう。

ここから、どうも次のことを私たちは認めなければならないようなのです。「私たちが日常的に使っている言語も、シンボルの一種としての記号である」。言葉とそれが意味する対象との関係は、実際にはかなりラフなものだと言わねばなりません(だからこそ時間とともに言葉の意味は変わっていくのだとも言えるでしょう)。

 

ヨーロッパには「タヌキ」がいない

こんな例も見ておきましょう。本節のタイトル通り、ヨーロッパには「タヌキ」がいません ―― 実は私たちにとっては身近なタヌキですが、生物としては東アジアの限られた地域にしか生息していなかったのです。とはいえ、現在は何のきっかけかヨーロッパにも侵入して一部では問題を起こしているとかいないとか。

しかしすると、ヨーロッパにはタヌキが「いなかった」ではないのか? と言われてしまいそうなのですが、ここが(筆者としては)ポイント。少しレトリカルな言い方ですが、ヨーロッパにタヌキは「いない」。正確には、「タヌキに対応する言葉で呼ばれる動物がヨーロッパにはいない」のです。考えてみれば当たり前で、最近までいなかったのだから言葉もなかったのですね(この辺の事情を sushi や tempura と比べると面白いかも知れません)。

では、「タヌキ」は現地で何と呼ばれているのか? 英語では "racoon dog" と呼ばれているようです。 "racoon" は「アライグマ」なので、無理やり日本語にすると「アライグマイヌ」でしょうか。アライグマに似た犬、という意味合いかと想像できます。確かにタヌキはアライグマに似ていますし、タヌキはイヌ科の動物ですが......と「タヌキ」を知っている日本人としては思うところですね。

フランス語では "chien viverrin" 、スペイン語で "perro mapache" 、オランダ語では "Wasbeerhond" となるそうですが、これらはいずれも「アライグマイヌ」。ドイツ語では「アライグマイヌ」に相当する "Waschbärhund" の他、 "Marderhund" とも呼ぶようですがこれは「テンイヌ」。これはイタチの仲間の「テン」です。とにかく似たものを結び付けて「犬の一種」として扱っていることが分かるかと思います*5

少し大げさになりますが、こうなるとヨーロッパでは言語上「タヌキ」を「タヌキ」として認識していないことになります。「イヌではなくてタヌキ」という区別がない ―― あるいは少し控え目に言ったとしても、その区別を重要視していない、ということになるでしょう。勿論、"racoon dog" に庭を荒らされた経験のある英国人ないし米国人が、この動物を目の敵にして他からはっきり区別しているということはあり得ます。しかし言語として見た時、ヨーロッパは「タヌキ」を「イヌ」から明確には区別しない。よしあしではなく、重要なのは「そういう習慣」なのだということなのです*6

 

次回はもう少し、この「記号化」について考えてみたいと思います。

*1:symbolizationという言葉は「象徴化」とした方がより正確なのですが、一般的な言葉としてより身近な「記号」としました。「象徴」は記号の一種であり、今回に扱うような習慣的に何かに結び付いた記号を指します。

*2:(私たちにも馴染み深い言葉では「シンクロ synchro」の「シン syn」がこれと同じです。「クロ chro」は "chronus" 、即ち「時間」のことで、シンクロとは時間が一緒、つまりが「同時」、「同期」を表わしているのです)

*3:https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%A80%98%E5%8F%B7/

*4:生き物として現実に存在する鳩だと考えて下さい

*5:但し、現在は日本語の tanuki でもそれなりに通じるようです。

*6:ちょっと妙な例かも知れませんが、日本人がキリスト教における神を「一柱」と数えるとしたら、これは逆に日本人がキリスト教的な神を神道的な神から区別していないことになります。どんな地域でも、どんな言語習慣でも同様の事態が起こり得るということです。