創造的教育協会の「哲学ブログ」

幼児から社会人まで、幅広く「思考」と「学び」をテーマに教育・学習事業を展開する一般社団法人。高知県内を中心に活動中。

創造的教育協会は「思考」と「学び」をテーマに高知県を中心に活動する一般社団法人です。

事業内容は幅広く、 1.幼稚園、保育園への教育プログラム提供 2.幼児向け学習教室「ピグマリオンノブレス」の運営 3.中高生を対象としたキャリア研修 4.企業研修 5.社会人を対象とした思考力教室の運営 など、 老若男女を問わず様々な人たちに「よりよく学ぶ」実践の場を提供させて戴いております。
またこの他、学材の研究・開発等、学び全般に関わる活動に携わっています。

プラトンとイデア論 ―― 二世界論の端緒

 

ソクラテスは、存命中に一冊の書物も書かなかったと伝えられています。その彼の教説について我々が詳しく知ることができるのは何故かと言えば、それは弟子たちがソクラテスの言葉・思想を引き継ぎ、書き残したからに他なりません。そうした弟子たちの中に、プラトン(B.C.427 - B.C.347)がいました。

現在の私たちが抱くソクラテス像はその多くをプラトンの著作に負っており、またプラトンの著作は師ソクラテスと彼の友人・論敵らとの対話篇を中心としたものなのですが、その中にはプラトン自身の思想が相当にソクラテスに仮託して含まれていると考えられています。ソクラテスの思想を引き継ぎ独自の仕方で発展させたのがプラトンであり、このソクラテスプラトンこそが実際には西洋哲学の源流なのだと言っても過言ではありません。

今回からはプラトンを主役として暫く取り上げていきますが、まずは彼の中心的思想の一つ、イデア論を取り上げたいと思います。

 

 

魂が想起するもの ―― 見られたものとしてのイデア

今日のテーマである「イデア」、これは「見る」を意味するエイドーというギリシア語から派生した言葉で、元は「見られているもの」としての「姿形」を表わす語です。特にプラトンが使い始めた言葉ということはなく、ホメロスの時代(紀元前8世紀)から使われた一般的な言葉の一つだったのですが、歴史家トゥキディデス(B.C.460 - B.C.395)の時代には「形式」や「種類」を表わす言葉としても用いられ、また古代ギリシアを代表する修辞学者ソクラテス(B.C.436 - B.C.338)や医学者ヒポクラテス(B.C.460頃 - B.C.370頃)らは「事物の持つ抽象的性質」を表わす言葉としても用いています。日本語では「観念」(「精神により見て取られたもの」というくらいの意味になります)と訳すか、あるいはそのまま「イデア」とすることが多い(プラトンを扱う場合はほとんど「イデア」とします)ですが、これらの意味をまずは文脈として含んでいることに注意して下さい。

また、この「イデア」、現代英語の「idea」の元となった言葉でもあります。カタカナ表記にして「アイデア」というと「着想・考え」といった意味合いが主ですが、この語が持っている「理念・理想」といった意味合いがプラトンの「イデア」に近しいものになります。

さて、ではこのイデアとは何なのか ―― ここで、想起説について思い出して欲しいと思います。私たちが「学ぶ」と呼んでいる行為は、実際には既に潜在的には知っている事柄を思い出しているということではないか。 答から言えば、ここで「思い出されているもの」がイデアに当たるものです。

簡潔にまとめると、我々は既にイデアを見たことがあるために、それを思い出す仕方で「知識」に到達することができる。ソクラテスが探究のパラドクスを避けるために仮定した図式に、イデア論の出発点があります(このソクラテスとは、勿論プラトンが描いたソクラテスです)。

では、我々は一体いつ、どこでイデアなどというものを見たのか?それに対する説明を与えるのがピタゴラス学派に由来する「魂の不死」説でした。

もし我々にとって,もろもろの事物に関する真実がつねに魂の中にあるのだとするならば,魂とは不死のものだということになるのではないだろうか。(『メノン』より)

プラトンソクラテスの死後、間もなく師を主人公とした対話篇を書き始めるのですが、この「魂の不死」に関する教説はプラトンが40歳を過ぎた頃からの中期対話篇と呼ばれる著作で初めて登場します。プラトンソクラテスの死から10年ほど後にシチリアへと旅行しており、そこでピタゴラス学派やエレア派と接点を持ったと見られており、そのためにピタゴラス学派の思想が取り入れられたらしい ―― こうした推測もあり、イデア論にはプラトンの独創が相当に含まれていると考えられています。ここでイデア論プラトンのものとして紹介しているのも同じ事情からです。

一つ、イデア論を説明する例として、「円」を取り上げておきましょう。実は私たちは定義通りの「円」=(「真円」)を視覚的経験として見ることはありません。コンパスは円を書くための道具ではありますが、微視的に見ればコンパスが描く線は必ず幾らかのズレを含んでしまうからです。これはコンピューターを使っても同様で、式としては正しくとも、ディスプレイの解像度がネックとなります。完璧な円を私たちは見ることはできない。
しかし、それにも関わらず私たちは「真円」とは何かを知っているし、それに近いものとして日常的な「円」を見ることができる ―― こうした事態を、プラトンは「私たちの魂が「円のイデア」を学んだことがあるからだ」という具合に説明するわけです。

 

真の実在 ―― 変わらないものとしてのイデア

さて他方このように考えると、私たちが日常的に経験するものは実は「本物」ではないのではないか、という疑問が湧いてきます。プラトンはこの疑問に、その通り、それは本当のもの、真の実在ではないと答えるのです。イデアこそが真の実在であり、感覚に現れてくるものはそのコピーに過ぎないプラトンは考えました。

ここに、私たちはエレア派に由来する「変わるもの/変わらないもの」を巡る問いの発展を見ることができます。パルメニデスは私たちの日常的な経験に現れる「変化」を皮相的なものと見なし、「有る」を決して変化しない根源的なものと見なしました。プラトンが唱える「イデア」は、この意味で「変化しないもの」の思想的系譜に位置づけることができるのです。

またその上で、パルメニデスに続くエレア派、また後期の自然哲学者たちが「変化しないもの」と「変化を説明するもの」という二つの原理で自然を説明しようと試みていたことを思い出して下さい。彼らの説明を本記事では二元論として紹介していました。この名前は、二つの原理を採用するところに由来しています。
こちらでもまた、プラトンを系譜上に位置づけることができます ―― ただし、プラトンが描いた世界は、「一つの世界を二つの原理で」説明するという図式を持っていなかったことに注意が必要です。どういうことかと言えば、プラトンは「イデアがこの世界の内部に存在するとは考えていなかった」。このブログでは「世界の背後」、「世界の裏側」というような表現を度々用いていますが、そうした世界の知られていない部分、隠れた部分ではなく「明確に区別されるもう一つの世界」を想定するところにプラトンの特徴があるのです。背後ではなく外部にある、もう一つの世界。これが不死の魂がイデアと出会う領域でした。これを二世界論といいます。

 

ざっくりと言えば、このもう一つの世界とは人間の知性が及ばない神の世界です。この思想はキリスト教がヨーロッパにもたらされた後にキリスト教神学に大きな影響を与えることになりますが、しかしそれもそのはず、実はプラトンの思想にはキリスト教の母体と言えるユダヤ教の影響があると言われているのです —— これは、上に少し触れたシチリア旅行の際にエジプトにも足を伸ばしたためで、そこでユダヤ教との接点を持ったのではないかと。プラトンの思想には「唯一神による創造」というコンセプトか少なからず影響していたということです。そのプラトン思想に、数百年後に登場するキリスト教が大きな共鳴を見出す。果たしてこれが真実なのかどうか、筆者は確認したことがないのですが歴史の壮大な流れを感じさせるエピソードです。