ソクラテス以前の哲学者たち⑤ —― ソフィスト
思いがけずソクラテス以前の人々を長く紹介しておりますが、今回で一応の区切りを…...ということで、以前にも少しだけ触れたソフィストたちを最後に取り上げたいと思います。ソフィストとは「賢い人」、また「教えてくれる人」というほどの意味合いですが、彼らが活躍した紀元前5世紀ごろのアテナイでは、やや不安定な社会情勢の中で弁論の術が求められるようになっていました。主張の正しいかどうかよりも、正しいと思わせられるか――多くの人を扇動する技術が必要とされたのです。
この弁論の術を人々に教えたのがソフィストたちであり、また彼らは相応の金銭を受け取ってもいたため、嫌われることが多かったようです。実際、プラトンやアリストテレスといった後代の哲学者たちからはかなり厳しい批判を受けています。
とはいえ他方、ソフィストたちの思考がまっとうでなかったかと言えば、そうとも言い切れないのが実情です。彼らは自身に先行する哲学者たち(この時代の哲学は、ほぼ「学問」と言い換えても問題ないほど広範な領域を扱っています)の思索をまとめ上げ、普及させる役割を果たしてもいました。彼らが伝えた知識が歪んで広まった結果、「相手に自分の主張が正しいと信じさせさえすればよい」という受け取られ方になってしまった、という面もあったのです。
物事には色んな見方がある…...というわけですが、今回はこの「物事には色んな見方がある」という考え方そのものを主張したプロタゴラスから見てみたいと思います。
プロタゴラス —― 人間は万物の尺度である
歴史上最初のソフィストとされるプロタゴラスは紀元前490年頃、トラキア(バルカン半島南東部)地方のアブデラというポリスに生まれました。ギリシア神話の英雄ヘラクレスが造ったという伝承がある街で、原子論者のデモクリトスも同じ出身です。
プロタゴラスは幾つかの書物を書いたと言われていますが、残念ながら現存するものはなく、部分的に引用されたものなどが残っているのみです(これは古代ギリシアに共通する事情で、この時期の著作で残っているものの方が珍しいのですが)。しかし、それでも彼の名前は哲学史に大きく刻まれています。その理由こそが「人間は万物の尺度である」というよく知られた命題なのです。
どのような意味でプロタゴラスがこの言葉を述べたのかは定かでありません。極端には物事の見方は人それぞれであり、真理や虚偽、正しさや間違いも全てその人次第…...という非常に強い相対主義とも読めます。客観的な事実など存在しない、という主張だと解釈されることも多くありました。しかし、これはやや強すぎる理解のようです。
プロタゴラスを始めとするソフィストたちは、上に述べたように自分たちに先行する哲学者たちの理論をよく知っていました。その中では、全く異なる理論、時にはお互いに矛盾するような理論が提出されている…...恐らくこうした事情から、「正しい(と思われる)ものは一つではない」という意味を込めたのだろう、というのが本記事の解釈です。客観的な事実は存在するのだとしても、しかしそれは様々な仕方で捉えられており、確実な答というものはない。とはいえ、そのように捉えているということ自体は決して恣意的なものではない――見たいようにしか見ない、主観的かつ恣意的な相対主義ではないとしても、客観的な事実へのアクセスの不可能性=不可知論が避けられなくなったことは間違いありません。
加えて、彼らの時代にあった自然観から言えば人間もまた世界の一部であり、世界との調和の中にあると考えられていた…...そうした人間が世界の原理を明らかにしていくのだ、というほどの含意があるものとして「尺度」という言葉は理解されるべきではないでしょうか。世界の外側から勝手にものさしをあてるのではなく、世界の内側で探求していく姿勢がここには表れているように思います。
ゴルギアス —— 懐疑論の始まり
このように見ると、プロタゴラスが描いたものは人間がそれぞれに世界を探求し、世界の成り立ちや原理について考察し理論化するという人間と自然との関係だということになります。探究の対象となるからには客観的なものとして世界は存在しており、客観的な真理もある。ただしそれらを記述する理論、正しい理論は一つではない…...こうした学問観とでも言うべきものを彼は語ったのだと言えるでしょう。
しかし、ここには疑問が残ります。プロタゴラスの主張は、確かに「物事は見方次第」とか「絶対的な真理はない」とかいうような相対主義ではありません。しかし、複数の理論がいずれも正しいと認められていることには変わりがない。一つの世界に対して、何故そんなことが起こるのか? そもそもそれらが「正しい」という保証はどこにあるのか?こうした問いを突き詰めていったのがゴルギアスだと言えます。彼はプロタゴラスより幾つか年下で、シチリアに生まれました。
思い返してみると、ミレトス学派の人々が万物のアルケーについて語り始めた時から、哲学者たちは実際に検証することができない思弁的な議論を展開していました。タレスが「水」がアルケーだとした時ですら、現に「水」から全てが形づくられていることが確認されたわけではないのです。
時代が下るにつれてこの傾向は強まり、例えばパルメニデスが「有るものはある」という時の「有るもの」などは、完全に概念上のものになっています。ヘラクレイトスの「知性」やアナクサゴラスの「同質のもの」などは尚更でしょう。これらは自然の成り立ちを説明するために立てられたいわば仮説であり、彼らが述べた通りの構造を世界が持つかどうかはどうやっても分かりません。だというのに、何故それらを正しいと認めなければならないのか? こうした観点から、ゴルギアスは次のように主張します。
① 何ものも存在しない。
② 存在していたとしても知ることはできない。
③ 知ることができたとしても伝えられない。
ここではパルメニデスに限らず、人間が経験的に知ることができる以上のもの、世界の外側にあるような原理を措定する理論全般が批判されていると見るのがいいでしょう。世界の根源について、哲学者たちは百家争鳴とも言える状態で論じてはいるが、彼らの見解はてんでバラバラである…...これは、彼らが実際に確認することもできないものを各々勝手に論じているからに過ぎないのではないか。これが「② 存在していたとしても知ることはできない」という主張の内実です。
また、各々が勝手に論じているだけだとすれば、実は議論を交わす共通の土台はどこにもなかったことになります。そのため「③ 知ることができたとしても伝えられない」。そしてもっと言えば、見ることができず、従って知ることも伝えることもできないようなものが存在しているという想定自体がおかしい。「① 何ものも存在しない」とは、我々の経験を超越したような何ものか(これが哲学者たちの論じたものでした)などあるとは言えないのだ、という意味で理解することができます。
このように根拠の無い立論に疑問をなげかけ、思い込みを排除していこうとする立場を懐疑論と呼ぶのですが、そのルーツにいたのがゴルギアスです。
ソクラテスとソフィストたち
さてしかし、このようにして見るとソフィストたちの思想は、彼らを嫌っていたはずのソクラテスのそれにかなり近しいことが分かります。プロタゴラスもゴルギアスも、何か真理と呼べるものがあり、それに人間が到達できるという具合には考えていない。
むしろ、「知っている」という思い込みに対する批判を向けているように見えるのです。ソクラテスの「無知の知」との距離は、自然哲学者たちと比較すればよほど近いと言えるでしょう。自分たちに先行する世代への批判を、時代背景として彼らは共有していたように思われます。
またもう一つ、ミレトス学派やピタゴラス学派、またエレア派といった人々が万物の原理、根源であるアルケーを探求したことに対して、ソフィストたちの関心は専ら人間にありました。人それぞれに様々な真理と思われる理論が提示され、また恐らく真理そのものには決してアクセスできない人間の限界を彼らは指摘したのです。この意味で、認識論と呼ばれる分野は彼らに始まったということもできるでしょう。