創造的教育協会の「哲学ブログ」

幼児から社会人まで、幅広く「思考」と「学び」をテーマに教育・学習事業を展開する一般社団法人。高知県内を中心に活動中。

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ソクラテス以前の哲学者たち③ —— エレア派と「変わるもの/変わらないもの」

 

ゆく河の川の流れは絶えずして、しかももとの水に在らず——『方丈記』冒頭の一節です。なるほど、確かに川を流れる水は止めどなく流れ、完全に同じ状態になることは二度とありません。

しかし、ならば何故その川を私たちは「同じ川」だと言うことができるのでしょうか?ここには「変わるものと変わらないもの」が交錯するポイントがあり、古来、思想上の重要な位置を占め続けています。現代風に言い直せば、アイデンティティの問題——私は何故(日々の変化にも拘らず)私であり、しかも私で在り続けているのか?

こうした問いに先鞭をつけたのが、イタリア半島の古代都市エレアの哲学者たち、現代ではエレア派と呼ばれる人々です。中でも、代表的な論者と言えるパルメニデスとゼノンを今回はご紹介したいと思います。

 

 

パルメニデス —— 「有る」はあり、「有らぬ」はあらぬ

ミレトス学派において探求された万物の根源(=アルケー)とは、例えばタレスの場合にそれが「水」であると言われたように、自然の中にある事物の根本的な構成要素を指す言葉でした。これに対して「そもそも何かが在る」ということにまで至る思索を繰り広げたのがエレア派の祖とされるパルメニデス(B.C.500頃 - ?)でした。その主張は、端的に「有るはあり、有らぬはあらぬ」という仕方で多くはまとめられ紹介されていますが、まずはその概要を見ていくことにしましょう。

「有る」とは文字通り、何かが存在することです。そして「「有る」はある」という時、その意図は「「存在している」ということ(≒事態)が存在している」と言い換えることができるでしょう。確かに、何か一つでも在るのだとすれば、「存在している」という事態が存在しないと言うことはできません。

他方、「有らぬ」とは「無」のことだと言うことができます。つまり「「有らぬ」はあらぬ」とは「「無」は存在しない」ということ。ここで言う無とは、勿論単に空っぽの空間ではありません(だとすれば「空間」が在ることになってしまいます)。「無」とは「有」の否定に過ぎず、それ自体としては存在し得ない。簡単に言えばパルメニデスはこのことを、恐らくは歴史上初めて理論的に述べた人です。実際、「無」とは何のことかと聞かれて答えられる人がいるでしょうか——そんなものはそもそも無いのだ、とパルメニデスは言ったことになります。「無」が在るという主張は、即座に在るのだから無ではないという矛盾に突き当たるのです。

何をそんな大げさな、と思う方がいるかも知れませんが、この思考を突き詰めると次のような主張に辿り着くことになります。「無」は無いのだから、何かが「無」になることはできない。そして「無」から何かが生じることもない。ならば「有る」が常にあり、しかも不変でなければおかしい。世界には「変化」などないのだ——決して変化しない「有る」だけが存在しており、私たちが日々感じている変化は幻のようなものに過ぎないのではないか。本当に存在しているものはこの「有る」だけなのだ。この結論は論理的に提示されたが故に、非常に大きなインパクトをもたらしました。

勿論、パルメニデス自身も私たちが世界の中で変化を感じていることは否定しません。しかし、その変化とは皮相的なものであり、実際には決して変化しないものがその背後で世界を支えている——こうした決して変化しないものは、後に「実体」という概念により西洋哲学の中で定式化されていきます。

この思想の影響は、やや誇張して言えば現代における常識にまで深く根を下ろしています。例えば、私たちは中学校で「原子」について学びますが、そのルーツはデモクリトスというソクラテスの同時代人にあると言われています(あくまで「原子」という発想のルーツであり、現代科学と同じ意味で「原子」が主張されたわけではありません)。「原子論」と呼ばれる彼の思想は「原子」という「それ自体は変化しないもの」の結合や分離によって世界に生じる生成変化を説明するものでした。即ち、決して変化しないものがある、というパルメニデスの主張を引き受けた上で、如何にして私たちが感じている変化と両立させるのか。これがデモクリトスの解こうとした問いなのです。哲学の問題意識は、明らかに「変わるものと変わらないもの」を巡るものへと変化した——恐らくは深まったと言うことができます。現在でも哲学の一分野となっている形而上学、とりわけ存在論と呼ばれる分野のスタートがここにあります。

 

ゼノン —― 「飛ぶ矢」のパラドックス

こうしたパルメニデスの主張を擁護するために、「変化が存在する」という主張の誤りを示そうと議論を展開したのがゼノン(B.C.490頃 - B.C.430頃)です。ソクラテスも彼の講義を聞いたことがあると言われる当時の第一人者であり、プラトンが書いた対話篇にも登場しています。また、後代のストア派創始者ゼノンと区別して「エレア派のゼノン」と呼ばれることもあります。

彼は論敵たちの主張、つまりは変化や時間、運動といったものが存在するという主張に対して多くのパラドックス(矛盾・逆説)を提示したことで知られています。「貴方たちの言うとおりだとすればこういうことになりますけども、おかしくはないですか。だとすれば貴方たちは間違っていて、変化も時間も運動も存在しないということではないですか」というわけ。その代表的な例の一つが「飛ぶ矢は止まっている」とするパラドックスです。このパラドックスは、大まかには次のように提示されます。

 

 ① 飛んでいる矢は、しかし、瞬間を切り取れば静止している。

 ② だとすれば、どの瞬間を切り取っても飛んでいる矢は静止している。

 ③ この時、矢は「飛んでいる」(=運動している)にも関わらず「静止している
  (=運動していない)ことになり、これは不条理である。

 ④ 従って、運動は存在しない。

 

このパラドックスは、現代では詭弁の代表例のように扱われることも多いのですが、有用な論点を数多く含むものでした。ゼノンは③の矛盾から運動を否定したわけですが、この否定を切り返そうと思うと、(矛盾自体は否定できないとすると)他の前提が間違っていることになる。つまり「時間は【瞬間】から成り立っているのか? そもそも【瞬間】とは何なのか?」、「【静止】とは何か?それは可能なのか?」といった問題がここから生じるのです。

この意味で、ゼノンのパラドックスは時間・運動・変化といった事柄をどのように理解するかという問題と不可分でした。ここにはものごとの定義を追求したソクラテスにも通じる態度を見ることができるでしょう——実際、20世紀にもベルクソンラッセルという著名な哲学者たちがゼノンのパラドックスを巡って時間概念や空間概念を論じてもいます。

 

「変わらないもの」は「ある」か?

エレア派の議論は、私たちが日々を生き、変化していく世界の背後にある「変化しないもの」への関心を惹き起こしました。積極的にその意義を評価するならば、彼らは運動や変化を否定したのではなく、「変わらないものがなければならない」と主張したのだと言うべきでしょう。この「変わらないもの」への志向自体はミレトス学派以来の原理の探求に既に含まれていましたが ―― 原理とはそれ自体、不変なものであり、変化を説明するものとして考えられるものです ―― それを自然の外部に求める姿勢が、彼らの特徴だということができます。この問いは、今も開かれたまま残されています。

他方、彼らが展開した議論は、あくまでこの世界の背後に——私たちが生き、経験することができる世界の外側、知ることができない領域に「変わらないもの」を位置づけるものでもありました。すると、その変わらないものはどんな意味で「在る」と言えるのでしょうか? 世界の内側に在るものと同じ意味で、そんなものが「在る」と言えるのかどうか —— 新たに登場するこの問いもまた、西洋哲学の源泉を構成する問題の一つとなっていくのです。