多様性 Diversity ―― 幾つかのキーワードで現代を考えたつもりになる①
この記事は2020年12月31日の夜(だいたい21時頃~)に書いています。
大晦日ということもあり、何か1年を締め括るような内容を書き残すことができれば、と思っていたのですが、悲しいかな「2020年」について、何かすっきりとまとまった考えを筆者はまだ持ち合わせていないようでした。けれど、この明瞭でないものを整理して明確にしていくことは、十分「哲学する」ことの実践であるはずです。
ならばこの際、今が西暦何年かということは考えずざっくりと「現代」という仕方で、また何となく「重要な言葉」扱いを受けている語を取り上げつつ、思うところを述べてみてもいいのではないか ―― その結果、何かこのブログらしい観点が提示できるかどうかやってみよう。
こういうわけで、年の瀬も押し詰まったこのタイミングで「幾つかのキーワードで現代を考えたつもりになる」と題して、年明けを跨いでつらつら考えてみたいと思います。最初のキーワードは「多様性 Diversity」。私たちはこの言葉をどのように理解しているのでしょうか? また、どのように理解していくべきでしょうか?
続きを読むプラトンの世界論③ ―― 宇宙の調和
前回、前々回と本記事はプラトンの宇宙論の概要を辿ってきました。確認してきた図式としては、前回の最後にまとめた通り、
① モデルとしてのイデア
② 材料としてのコーラー
③ 変化の原動力としてのヌース
④ 変化の目的としての善
これらを生成変化する世界を説明する要素としてプラトンは提示しています。世界の創造主たるデミウルゴスが、理想的な存在としてのイデアを見本に、コーラー(場所)において諸々の諸物を創り出す。またそれら諸物は、より善いを状態を目指すヌース(知性)を創造にあたりデミウルゴスから授けられている。簡単に整理し直した図は、このようになっていました。
では、このようにして創られた世界における当の変化は、どのように考えられているのか。プラトンの締め括りに、これを今回は見ていきましょう。
続きを読むイデア論を考える③ —— 洞窟の比喩と哲人王思想
前回、前々回と本記事ではプラトンの対話篇『国家』を参照しながら、プラトン自身がイデアに関する説明として持ち出す「太陽の比喩」、「線分の比喩」を見てきました。今回はそれらに続く第三の比喩、即ち「洞窟の比喩」を見ていきたいと思います。3つの比喩の中では一番有名なものなので、聞いたことがある、という方もおられるのではないかと思います。
けれどその前に、ここまでに触れていなかったことを1つだけ。それは『国家』という著作が政治思想を、もう少し細かく言えば国体論を扱うものだったということ。またその中でプラトンは哲学を収めたものが統治者となることを最良の国制と見なす、いわゆる哲人王思想を展開していたのだということです(哲人王思想については、他に改めて記事を書きたいと思います)。
その際イデアとはまさにこの哲人王が学ぶべきものであり、真実ないし正解を把握した上で統治が実践されることをプラトンは理想としていた。このことを前提に、今回の記事をお読みいただければ幸いです。
続きを読むプラトンの政治理論⑥ —— 法律の制定と「夜の会議」
前々回、前回とプラトンの後期対話篇の一つ『政治家』から、理想的な政治家の在り方とその不可能性、また法律の安易な改変に対する危惧を取り出して順にご紹介してきました。
しかし —— これらの記事を読んで戴いた方はお気づきのことかと思いますが —— プラトンは哲人王、あるいはまた法律の起源となる立法者というまさしく理想的な政治家、「知恵」を備えイデア(=真理)を知る人物を前提しており、そのために現実とはまず一致しないと思われる主張を展開することになっていました。『国家』から『政治家』へとより後の著作に進む中で「哲人王の統治」から「法の支配」へというアイデアが生まれはしたものの、しかしここでも肝心の「法」は理想化されたままになっていたのです。
その結果、法を変更することへの危惧は示すことができたとしても、本来の方の正当性については神話的な記述に頼らざるを得なかった部分が『政治家』にはある。この困難をプラトン自身がどう見ていたのかは分かりませんが、ともかく彼本人は最晩年の『法律』において更に現実的路線へと舵を切ることになります。しかしながら、その見直しこそが哲学本来のあり方への回帰でもあった —— これが今回お話ししたいと思う筆者の見立てです。
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